もう何年通い続けてるだろう♪
愛知県にやってきたのは2001年。
広島の実家のある山奥のような場所を
雑誌で見つけた時、
嬉しくてすぐにお宿に電話。
「今夜、ひとり泊まれますか?」
「お一人ですか?」
「はい!」
当時は温泉に一人で泊まるなんて文化はなかったし
まして「女性が一人で…」なんて
お宿の方はかなり警戒していたみたいで
部屋で川を見下ろしながら
キンキンに冷えたビールを煽る私の元へ
仲居さんが何度も生存確認に
いらっしゃっいました(笑)
そのお宿は愛知県新城市、
奥三河にある「湯谷温泉」のはづ。
あれからもう何十年も経ちますが
いまだにお世話になって、
なんなら今では家族のように
可愛がってくださって(笑)
まさかこんなご縁になるとは!
本当にありがたいです。
そして、野菜ソムリエの私に
「うちの町でとれる野菜で
お土産品を作りたいんだけど
力を貸してもらえませんか?」
と声をかけてくださったのが
愛知県設楽町さん。
もちろん「奥三河」のまち。
初めて設楽町を訪れたのは
「一番町が冴えない」と町民さんがおっしゃった冬。
観光も特産品もない、山だけ…
だけど、
そこは美しい純白の雪に包まれた
素晴らしい集落でした。
そこで出会った牧場主さんが一言…
「何にもない、いいところでしょ?」
とニヤリと笑った。
その瞬間に
「はい。私、設楽町さんのお手伝いしたいです」
と返事をしたのを今でも忘れません。
それからその集落は私の「第二の実家」になりました。
集落の方は迷惑がることもなく
「いつでも帰っておいで」と優しく迎えてくれます。
私が行き始めた頃は
奥三河のような山奥に観光に行くのは
時間に余裕のある高齢者ばかりで
若者が来ることなんてありませんでした。
しかし、あれから通うたびに
友人を一人連れていき、
二人連れていき、3人連れていき…
最終的にはみんなでバスで!
と、徐々に増えていった奥三河ファン。
そんな私の活動を見て
「お金もらってるからやってるのでは?」
ということをおっしゃる方がいらしたようですが
私は奥三河に関しては「ファン」なので
ほぼボランティア♪好きでやっています。
仕事の片手間に
メディアを利用して
奥三河を宣伝するようなことはしたくなくて
ただただ地道に「好き」を発信してきました。
奥三河エリアに入ると
「エコちゃん、きてるの?」と
あちこちから電話が来たりする、
いつでもどこでも「見られてる」場所(笑)
「おかえり」と言って
あったかい料理で迎えてくれて
帰り際には
車につめるだけいっぱいの野菜をいただき、
もちろん一人では食べきえないので
名古屋市内の飲食店のシェフ達に配ったりして。
すると
野菜を食べたシェフから
「農家さんを紹介して」と連絡をいただき
取引が始まったり。
そんな奥三河との付き合いは20年以上。
今や どんどん人が集まり、
メディアの取材もたくさん!
移住者も増えている町になっていました。
嬉しい。
そんな町にもっとも長く滞在したのは
コロナの緊急事態宣言の時。
仕事も無く、行く当てもなく
ただただ落ち込んでいたところを
「ココにいて、草取りを手伝って」
と声をかけてくださった
牧場主の竹内さんや駒ヶ原の住民の皆さん。
嬉しくて嬉しくて。
感謝しかありませんでした
そんな奥三河にもちろん今も通い続けています。
今は地味に「好き」を発信するしかできない立場ですが
それでも暖かく迎え入れてくれる皆さんに
甘えてばかりでも行けないので
そろそろ本気で動き始めなければと
いろいろ計画中♪
キラキラした愛されキャラクターでもない(笑)
甘え下手で、マンパワーも、派手さもない
なぜか「なんでもビジネスにしている」と
勘違いされてしまう私(笑)にできること…
『たった一つのこと』を始めようと考え、
春から実験的に少しずつ始めています。
まだまだ発表にまで至りませんが
私らしく地道に地道に(笑)
人生に一番大事な
「時間と人」だけはある私のライフワークは
「ラジオとナレーションと奥三河」
これからもブレずに楽しくいきます♪